3月16日(土)、第159回からつ塾「千々賀甘木谷にある二基の石碑~お久様と呼ばれ祀られてきた宝塔の謎」

講師:山田(やまだ) (ひろし)氏(松浦史談会会長)

講師プロフィール:昭和11年佐賀市生まれ。長年にわたり松浦史談会事務局長を務め、平成29年より松浦史談会会長に就任。唐津藩内の庄屋文書を始めとする近世文書の研究を行う。

講義概要: 千々賀甘木谷の、地元で廃寺跡と伝えられている地に二基の宝塔がある。お久様と呼ばれ祀られてきた二基の宝塔は、高さ60~80㌢の精巧な滑石塔で製作年代は平安中期から鎌倉上期頃かと云われている。
 九州西北部に位置する唐津・松浦地方には、平安後期から戦国時代にいたる570余年の間活躍した松浦党と呼ばれる武士の集団があった。松浦党は玄界灘を越えて中国・朝鮮とも交易し松浦水軍としてその名を轟かせていた。
 二基の宝塔は、平安末期から室町時代にかけて同地方を中心に活躍した松浦党の首領的存在であった佐志氏の先祖(佐志六郎調-佐志太郎撰)が、先祖の供養のために建立した石碑である。
 先立つ寛仁3年(1010)、刀伊族(女真族)を松浦で撃退した嵯峨源氏の流れを汲む前肥前介源知は、その後上松浦地方に土着し開発領主となった。源知が上松浦地方の開発領主として土着し居館を構えた地は千々賀であり、その後継者源太夫久もまたここに土着したのである。 千々賀の宝塔二基は、前肥前介源知と源太夫久である。私はこの源知こそ松浦党開祖、その跡を源久が継いだと考える。
 今回、私はこれを論証するために次の二つの資料を準備した。
 ① 郷土史家龍溪顕亮氏作成資料『小笠原公時代藩士住宅図』
 ② 『文政三年大小庄屋由緒書上帳・松尾家文書』
 この二つの資料を紹介しながら、二基の宝塔の謎を明らかにしてみたい。

日時: 令和6年3月16日(土)  15:00~17:00
会場: 唐津ビジネスカレッジ  (JR東唐津駅北側、徒歩1分)
参加費 : 1,000円(学生500円、中学生以下無料)