【終了しました】6月17日(土) 15:00~17:00、第153回からつ塾「熊野、新しき村『黎明が丘』のロマンと真実」

講師:中田重顕氏(三重県熊野市郷土史家)
講師プロフィール:
 1942年、中国東北(旧満州)に生まれる。熊野市育ち。熊野市文化財専門委員、みえ熊野学研究会運営委員、熊野古道語り部文学同人誌「文宴」に拠って文学活動。小説やエッセイを発表している。三重県文学新人賞、三重県文化奨励賞、第10回鳥羽マリーン文学賞大賞受賞。著書に、短編集「たそがれ、サムトの婆と」叢文社。短編集「観音浄土の海」叢文社。エッセイ集「みくまの便り」はる書房。エッセイ集「私の好きな女性」バク書房。 1993年12月号「文学界」に「雪降る代々木正春寺」が掲載。 2000年6月号「文学界」に「黎明が丘暮れる」が掲載。この2つの作品は何れも「大逆事件」を横糸にして紡いだ短編小説である。

講義概要:
 白樺派の作家で華族の武者小路実篤が理想郷を夢見て、日向国・宮崎県児湯郡木城村に日本で最初の新しき村を設立したのは大正7年のことであった。
 その翌年の大正8年、日向からも中央からも遠く離れた紀伊国熊野、三重県南牟婁郡神志山村志原に、日本で2つ目の新しき村が誕生していた。その名も「黎明が丘」という。立てたのは宇和島出身でキリスト教牧師宇都宮米一と近隣の進歩的な青年たち。宇都宮牧師は奥熊野の中心地、現在の熊野市木本町を「士こう はたおり 舟つくり 地の底くゞり金を掘り 汗をしぼりてパンをねる 労働者こそ尊とけれ」 こんな歌を夫婦相合い傘で歌って歩くような人物だった。やがて彼は警察に拘束されていく。
 明治44年、24名に死刑の判決が下った「大逆事件」、この中に6人の紀州熊野の人が連座して死刑の判決を受けたが、黎明が丘は、この「大逆事件紀州組」の影響を大きく受けていたと思われる。この世に理想郷を実現しようとして、権力に立ち向かった、黎明が丘に集いし人たちのロマンと真実に迫ります。

日時: 令和5年6月17日(土)  15:00~17:00
会場: 唐津ビジネスカレッジ  (JR東唐津駅北側、徒歩1分)
参加費 : 1000円(学生500円、中学生以下無料)