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トップ  >  山田洋教室  >  第111回からつ塾「唐津藩大久保氏の治世〜大久保忠職・忠朝2代30年」

  • ―幕閣の権力争いに敗れ、唐津で再起を図った大久保氏―

  • 講師:山田洋(松浦史談会)

  • 開催日時:平成28年1月16日(土)15:00〜17:00

  • 開催場所:虹の松原ホテル(JR東唐津駅タクシー5分・徒歩20分)

  • 参加費:1,000円(学生500円)

    事前申し込み不要、直接会場へお越し下さい

  • 問合せ:からつ塾事務局  0955-73-9111 虹の松原ホテル(馬渡)

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  • 講演内容

     羽田空港に続く東京都港区海岸のモノレール浜松町駅前に、小石川後楽園と共に今東京に残る江戸初期の大名庭園の一つである旧芝離宮恩賜庭園(国史跡・名勝指定)がある。もともとは大久保忠朝上屋敷の庭園楽寿園が始まりである。
     大久保忠朝は唐津藩主であった延宝5年(1677)幕府老中となり、翌年下総佐倉に転封、天和元年(1681)には老中首座になった人物である。貞享元年(1684)江戸城内で大老堀田正俊が殺害された時、その場で当事者の稲葉正休を討ちはたしたというエピソードの持ち主でもある。その後、貞享3年相模小田原へ転封となったが、小田原は眩追秣腟彿歟蚓(ただちか)が初代小田原城主を務めた大久保氏ゆかりの地である。
     ところで、旧芝離宮恩賜庭園には唐津山と名付けられた小高い枯山水風の築山がある。これは大久保忠朝が、義父の大久保忠職(ただもと)の跡を継いで藩主となった唐津の地が忘れがたく、江戸上屋敷の庭園の一角に築山を築き唐津山と名付けたのではと推測される。そのことは唐津の大久保緑地公園(旧丸宗公園)に建つ大久保加賀守忠職碑に、孝子忠朝によりびっしりと刻まれた碑文を読めば、大久保忠朝にとってなぜ唐津が忘れがたい地になったのか、その謎が解ける。      
     今回は、みなさんと一緒にこの謎解きに挑戦してみたい。

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