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「最後のロシア皇帝とその家族・・・遺骨の真贋を探る・・・」

  • 開催日時:平成20年6月16日(月)午後7時〜午後9時
  • 開催場所:唐津ビジネスカレッジ(JR東唐津駅前)
  • 参加費:2,000円(大学生以下1,000円)

講義要旨

1703年ピョートル大帝がネヴァ川の小島に着工したペトロパブロフスク要塞にはペトロパグロフスク聖堂がある。
そこには、ピョートル大帝からアレクサンドル?世までの歴代の皇帝が埋葬されている。
しかし、第18代皇帝ニコライII世と皇后アレクサンドラの遺骨は生前指定されていた場所にはない。
彼等の遺骨は数奇な運命を辿った。

ニコライ?世とその家族および使用人の遺骨は、ロシア革命後の1918年7月ウラル山脈のふもと、エカテリンブルグで虐殺された後、最後に墓標のない穴に埋められるまで激動の3日間を過した。
この間に遺体の損傷と腐敗が予想以上に進行し、肉眼的な個人識別が不可能になっていた。
さらに、ソ連崩壊後の1991年、その場所が公表されたが、盗掘、埋め戻しなどが相次いだ。
これらの遺骨は当初から偽物説があり、また、2遺体不足している他、骨の数も9人分で約800個不足していた。
悪夢に一刻でも早く終止符を打ちたいロシア政府の依頼により、イギリスのP.ジル博士とロシアのP.イワノフ博士が、大腿骨を用いて遺骨を鑑定した。
この鑑定には、DNAの変異が3〜4千年に1度の割合でしか起こらず、また、何世代も変わらず女性の血筋を通じて子々孫々に引き継がれるミトコンドリアDNAを用いた。
P.ジル博士らの鑑定結果、「ロシアの王家の大腿骨からえたDNAは98.5%の確率でイギリス王室の家族から採取した血液標本のそれと一致した」。
しかし、イギリスのそれは、ニコライ?世の鑑定には何等役立たない。
そこで、1994年弟グランド・デュウク・ゲオルギー・アレクサンドロビッチのお棺を開き、鑑定試料を得た。
その結果、この兄弟のミトコンドリアDNAの特徴は、「塩基配列の16169位にC/Tへテロプラスミーが存在するが、両者には量的な差がある。他の塩基配列は同じである。」と鑑定した。
この結果を基に、ニコライ?世とその家族及び使用人等9名(虐殺した数より2名不足)は、いずれも聖堂の前室に埋葬された。
埋葬式にはエリツィン夫妻が出席したが、遺骨の真贋論争に決着がついていないことを理由にロシア正教会の最高指導者、アレクシー大主教は出席をボイコットした。

一方、長井らは、ツァールスコエ・セロー(ェカテリーナII世の夏離宮)の衣装室に洗濯せず綿布に包んで保存されていたニコライII世のベストに付着している汗の斑痕に着目した。
この斑痕からスコッチテープで試料を採取し、1994年に墓地から鑑定のため発掘された弟グランド・デュウク・ゲオルギー・アレクサンドロビッチの毛髪、爪、下顎骨、及び妹グランド・ダッチイズ・オルガ・二コラエフナの長男ティホン・ニコラエビッチ・クリコフスキー・ロマノフの血液から得たミトコンドリアDNAを鑑定したが、特徴的部位の約600の塩基配列は全て一致、同じ一族である事がわかった。
しかし、ニコライII世のものとされる骨は、「今後再鑑定してはいけない」という政府の決定に基づき全て埋葬され、試料採取することが出来なかったので、ジルらが発表した論文の塩基配列と比較したところ、5箇所塩基が違っていた。
しかも、彼らが鑑定上最も重要であるとした塩基配列16169にはC/Tへテロプラスミーが無かった。
セミネストPCRでもすべてCであった。
クローニング後のシークエンス解析の結果でも多型(C→T)は無かった。
記述のように万全な検査で5箇所も違えば、統計処理をするまでもなくこの遺骨は別人である。
長井らは、この問題に決着をつけるため、2001年、第19回国際法医遺伝学会でP.ジルとこの間題について公開討論した。
P.ジルの回答は「曇りのち雨」だった。

とすれば、なぜ以前の鑑定で「本物」という結論がでたのか。
鑑定の精度は年々向上しており、技術的な違いもあるだろうが、違いが大きすぎる。
米軍病理研究所は1995年グランド・デュウク・ゲオルギー・アレクサンドロビッチの遺骨と比較、P.ジルらの鑑定結果を追認した。
しかし、このデータはいまだに公開されておらず、はっきりしない。

科学にいろいろな国の思惑が加味された可能性が極めて強い。

講義風景


長井辰男先生講義「最後のロシア皇帝とその家族・・遺骨の真贋を探る」

長井辰男先生講義の様子

長井辰男先生講義の様子2

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