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庄屋文書にみる唐津藩のキリシタン政策(21.6.29)

  • 講師:山田 洋氏(松浦史談会)
  • 開催日時:平成21年6月29日(月)午後7時〜午後9時
  • 開催場所:唐津ビジネスカレッジ(JR東唐津駅前)
  • 参加費:2,000円(大学生以下1,000円)

講義要旨

 天文18年(1549)、フランシスコ・ザビエルにより日本にキリスト教が伝来しました。
織田信長は京都に教会を建てるなど、キリスト教の布教に積極的でした。
西国の戦国大名のなかには、南蛮貿易の特権を得るために自らキリシタン(吉利支丹)大名となる者がありました。
豊臣秀吉や徳川家康は、はじめはキリスト教布教に寛大な態度を示し、最盛期には全国で75万人の信者がいたといわれます。

 しかし秀吉は1587年(天正15)抑圧に転じ、1596年宣教師ら26人を長崎で処刑しました(26聖人の殉教)。家康も1613年全国に禁教令を出し、キリシタン大名の高山右近らを国外に追放しました。

 天草島原の乱後鎖国政策をとった幕府は、寺請制度の下で宗門改めや踏み絵により徹底したキリシタン弾圧を行ったため大多数の信者は改宗を余儀なくされましたが、一部には潜伏して信仰を守りぬく人々もいました(かくれキリシタン)。

 唐津藩は寺沢氏の所領であった天草で天草の乱が起こったため、その後のキリシタン取締は他藩より厳しかったと云われます。
毎年行った宗門改めも、キリシタンではないことを誓約させた後血判を押させています。
また、鎮西町馬渡島には、長崎県外海町の黒崎から弾圧を逃れて信者達が密かに移り住んだという伝承があります。

 今回は、唐津藩のキリシタン政策や、弾圧を逃れ信仰を守りぬいた馬渡島の潜伏キリシタンの実態を、今に残る庄屋文書を紹介しながら皆様とご一緒に勉強してみたいと思います。

講義風景


山田洋先生講義「庄屋文書にみる唐津藩のキリシタン政策」

山田洋先生講義の様子

山田洋先生講義の様子2

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