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『赤子養育仕法』にみる唐津藩の間引き防止策(23.1.31)

講義要旨

 江戸時代の人口は約3000万人を上下して停滞していました。
その原因はいろいろ考えられますが、農業生産力の乏しかった東北地方では、口減らしのために生子を殺す「間引き」が行われていたことが知られています。

 唐津藩の古文書(「唐津藩高帳」)の中に、延享3年(1746)土井氏時代に調べた村方人口があります。
これによれば、村方人口は59.639人で、その内男 33.979人、女25.660 人と記されていて、女が男よりも8.319人も少ないことがわかります。
唐津藩にも口減らしのために女の子を間引く風習があったことは明らかです。

 土井氏や水野氏の時にも、間引の禁止や、赤子養育米の支給をしたりしていますが、「赤子養育仕法」をつくり本格的に間引き防止対策に取り組んだのは、小笠原氏の天保4年(1833)からです。

 小笠原氏は赤子方役所を設け、次の3点から間引き防止に取り組んでいます。
?「赤子養育取締仕法書」を作成して、懐胎届・出生届・出産時の村役人の立会い・流産防止・子添婆の心得等々細かな規則を設け、違反した者には厳しい罰を与えた。
?「赤子養育の歌」をつくり、間引きの罪悪感を強調し、赤子方 役人や村役人を通して間引き防止を訴えた。
? 生活が苦しく、生まれた赤子の養育が困難な者には「赤子養育 米」を支給した。

 今夜は、唐津藩の間引きの実態やその対応策と成果等を、庄屋文書に残る「赤子養育方記」を通して、みなさんとご一緒に勉強してみたいと思います。

講義風景


山田洋先生講義「『赤子養育仕法』にみる唐津藩の間引き防止策」

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