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日本文学と歴史 -あの島唄がどうして歌謡曲に?-

  • 開催日時:平成19年1月15日(月)19時00分〜21時00分
  • 開催場所:唐津ビジネスカレッジ(JR東唐津駅前)
  • 参加費:2,000円(大学生以下1,000円)

講義要旨

歴史は文学の魂と言われ、実際に起こった出来事を歌に、物語に、人々はしてきました。
ですけれども、この日本では、歴史から文学へというその道がだいぶ前から途絶え、「古事記」のつぎは「平家物語」、そこから「太平記」や「忠臣蔵」と行きついたが、明治維新も太平洋戦争もたいした文学作品の題材となっていないのです。
一体、どうしてなのか。一体、なにがあったのか、それを問うてみようではありませんか。

手始めに、奄美の島唄「かぎ丸の歌」から始めましょう。
この歌は戦時中、かぎ丸という客船がアメリカの魚雷で沈没し、多くの犠牲者を出したその悲劇を歌ったものです。
ところが、これが発禁となった。
戦後もアメリカの支配下で依然として発禁です。
やっと日の目を見たときは、「十九の春」という恋歌に様変わり。
大ヒットしたとて、何になりましょう。
歴史は否定され、叙事詩は否定され、抒情歌となり果てたのです。

ですが、これは政治のせいでしょうか。
そうとも言えないわけがある。
昔から、日本人にとって歴史はいま生きているもの、自分がつくりつつあるもの、ではなくて、なつかしく、あるいは涙して思い出すものなのです。
ですから、本来は叙事的なものが抒情となる。
杜甫の「春望」を思い出しながら詠んだ芭蕉の句は「夏草やつはものどもが夢の跡」。
これと「春望」を比べてみてください。
杜甫は自分の生きている歴史という現実を嘆き、芭蕉は過去の歴史を思い出して詠嘆しているのです。

こういう伝統的な考え方は、なにより新たな歴史をつくろうとする近代には合わないはずだ。
しかし、近代文学を代表する小林秀雄は、「歴史とは神話である」と言い切って、いっさいの歴史的な思考法を否定したのであります。
同じ小林は、戦後になっても同じ考えを捨てなかった。
それに対して、歴史を文学に積極的に取り入れようとした井伏鱒二などは、原爆の落とした影を引きずる市井の人を描きもすれば、貧困のなかでも子を産みつづけるベビーブームの庶民たちをも描いた。
そして、小林秀雄に対してひやっとする言葉を浴びせているのです。

さて、からつ塾のみなさん、私はこうした文学と歴史の関係から、私たちの歴史意識というものを問いただしたいのです。
歴史って何でしょうか、と問いかけたい。
日本の文学が長く打ち捨ててきた歴史、文学の母であったはずのものを忘れて、文学はどこへ行くのでしょう。
私たちの文学の原点であるはずの島唄には、いつも歴史が表現されていますが、そうした歌を葬って、恋の抒情歌ばかり歌っていたら、それは文学の魂にそむくことではあるまいかと言いたいのです。

講義風景


大嶋仁先生講義「日本文学と歴史-あの島唄がどうして歌謡曲に?」

大嶋仁先生講義の様子

大嶋仁先生講義の様子

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