からつ塾生きた学問を全ての人たちに

からつ塾

トップ  >  大嶋仁教室  >  日本から読むカズオ・イシグロ−『日の名残り』の一つの読み−

日本から読むカズオ・イシグロ−『日の名残り』の一つの読み−(2011.11.12)

  • 開催日時:平成23年11月12日(土)午後2時〜午後4時
  • 開催場所:唐津ビジネスカレッジ(JR東唐津駅前)
  • 参加費:2,000円(大学生以下1,000円)※参加自由。当日直接お申し込みください
  • 講義資料(PDF)

講義要旨

カズオ・イシグロは長崎生れの英国人であり、彼の小説は現代イギリス文学を代表するものである。
しかし、彼の両親が日本人であり、彼がその両親のもとで育ったことを考えるなら、彼の文学に日本的なものが見つかっておかしくない。
本人が認めようと認めまいと、彼の小説に日本を読み取ることは可能なのである。
そのことは、彼の小説の価値を低めることにはならない。

このような立場から彼の代表作『日の名残り』(The Remains of the Day)を日本文学の延長として読むと、意外にもそれが森鷗外の文学の延長線上にあることがわかる。
作品自体は英国の戦前から戦後にかけての名家の失墜と、その名家の執事の人生の激変を主題としているにもかかわらず、その背後に伝統社会の崩壊のなかで個人は何を信じて生きていくことができるのかという鷗外文学の主題が見つかるのである。
とはいえ、カズオ・イシグロは森鷗外とは異なる。
同じ線上にあるとはいえ、明らかにイシグロは鷗外の限界を超えているのである。
何と言っても、イシグロは鷗外のように属する社会を持たない。
日本人ではなく、「日本の名残」しか持たない作家だからこそ、彼は日本と日本人の特質と限界を適確に表現することができるのだ。
彼の文学に日本人の行くべき道が示されていると言っても、あながち間違いではない。

イシグロ文学を日本に還元することはできないし、そうすべきでもない。
彼の目指すところは日本ではなく、個人のアイデンティティーという普遍的な問題であることは確かだ。
しかし、そうであってもなお、彼の文学を日本文学の延長として読むことはできる。
否、できるだけではなく、日本人読者ならそのように読むべきではないかと思われる。

講義風景


大嶋仁先生講義風景

大嶋仁先生と質疑応答の様子

大嶋仁先生と質疑応答の様子2

プリンタ用画面
前
旧制佐賀高校と日韓のきずな
カテゴリートップ
大嶋仁教室
次
脳科学と文学