あらためて「ことば」って何だろう?

石原環境相の「金目発言」がマスコミを賑わしています。そしてまるで
おつき合いするように鈴木東京都議の「セクハラ野次」となると、政治
家たちの人間性の劣化をあらためて思い知らされます。そして頭を垂れ
ての謝罪の光景は、いつものことながら醜悪ですらあります。

ここで「ことば」についてあらためて考えてみました。「ことば」はい
うまでもなく情報や意思伝達のツールだから、そこに使い方の稚拙や悪
意や受取る側の誤解も生まれます。そして問題の起こるたびに論じられ
るのはそのようなレベルでの話です。

実は「ことば」は本来もっと大切な意味を持つものであることを、他な
らぬ彼らが教えてくれているのも皮肉なことです。つまり「ことば」は
その人自身がつくり発するものであるから、それはその人の人格そのも
のであるといえます。となると彼らの発言は単なるミステークとはいえ
ません。ましてや政治家が「失言」するたびに口にする「誤解を与え
た」(つまり聴き手に責任が転嫁される)などよく言えたものです。

こんどの石原発言で彼の父君である慎太郎氏が都知事だったときの「舌
禍」を思い出しました。
あるとき知事として重度障害者施設を視察したあと周囲に、「ああいう
人たちに人格はあるのかね。自分が誰だかわからない。人間として生ま
れたきたけれどああいう状態になった。西洋なら切り捨てちゃうんじゃ
ないか。こういう問題って安楽死につながるんじゃないかという気がす
る」と語って、当時問題になりました(が、なぜかそれ以上にはなりま
せんでした)。

さてこの二人の発言を並べてみると単なる偶然ではなく、さすが親子だ
なあと妙に感心させられます。つまり「ことば」はその人の成長過程で
つくられた人格から切り取られた断片そのものであるということです。

昔から「口は禍いのもと」と言われます。しかしそれは彼らのような人
たちのために用意された格言であって、まともな人格・品性を備えた者
にとっては滅多に気にすることではないのかもしれませんが、ときには
自省することも必要だなあと思いながらこの拙文を書きました。

カテゴリー: ぎんやんまの部屋   パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">