安倍首相の試み

安倍首相の一連の試みを解釈してみます。精神分析的な解釈です。

「ものぐさ精神分析」の著者岸田秀氏が言ったように、日本人は自己を失っているので、それを取り戻さねばなりません。近代日本人は外圧に弱く、外面と内面がはっきり分離し、統一された人格を形成していないと岸田氏は指摘しました。そこから脱却するには、自身の歴史をしっかり見直し、自らの言葉でその歴史を再構築しなくてはならないとも言っています。この論は精神分析の立場からしておおむね正しいでしょう。私もある西洋の精神分析家にこんなことを言われたことがあります。「日本は戦争に負けて、軍隊を持てなくなり、いわば去勢されてしまったのですね。そのような状態は精神に大きな障害をもたらしているのではありませんか」と。

安倍首相がやろうとしていることは、「日本を取り戻す」ということですが、それは精神分析的には健康な精神を取り戻す動きのように見えます。自分の言葉で自分の歴史を語ること、自分の言葉で憲法を作成しなおすこと、自分自身の軍隊で自分を守ること、これを彼は実現したいようで、それは日本人が普通の国民になるには必要なプロセスであろうと思います。

しかし、大きな問題が実はそこにはあります。まず第一点は、彼が取り戻したい「日本」が明治政府の作り出そうとした日本であり、それは端的に靖国神社に象徴されるものだということです。これは本当の日本でしょうか。私は長年この問題を考えてきましたが、日本人の精神生活を支えてきたものは神仏習合、すなわち神社信仰と仏教への帰依の両方なのです。神仏を分離し、神道を国家宗教として靖国神社や護国神社をつくりあげた明治政府の「日本」など、偽物の、西洋化時代の対抗措置にすぎず、実に内容空疎にして国民をあやまるものなのです。安倍首相は中国や韓国がこの問題に口を出すなら意固地になるでしょうが、そうした意固地を真の愛国心と混同してはなりません。ここが彼の大きな問題点のひとつです。

もうひとつの問題点は、もし日本人が自己を取り戻すなら、軍隊と憲法だけでなく戦争裁判にも取り組まねばなりません。すなわち、自らの手で戦犯を裁き、歴史の検証をしなくてはならないのです。しかしながら、安倍首相はこの問題に一切口を閉じています。アメリカとの関係については同盟であるとしていますが、この同盟の根源を問う必要があるでしょう。でなければ、彼の言う「日本」は取り戻せません。同様に、東京国際裁判を問い直し、みずからもう一度戦争について問い直さねば、彼の「日本」は回復されません。そのことを抜きにしているのは、論理の破たんでもあるし、欺瞞でもあると思います。

順番としてはまず戦争とその罪科についての検討、つぎにそれに基づく裁判、そのうえで憲法の作り直し、ということになるでしょう。そのような手順を踏まず、憲法を改正し再軍備をすることで「日本を取り戻す」というのは無理です。

こうしたことを言うのも、安倍首相のもくろみは他の首相の場合と違って、一定の思想性を含み、論じるに値するからです。彼の人気も国民が彼に一定の姿勢を感じるからでしょう。しかし、そこが実は問題なのであり、その姿勢に欺瞞があることに気付かねばなりません。安倍首相が戦後日本が触れずに来た大問題に触れようとしているのは評価できますし、中国や韓国の言説から自らを守ろうとしている姿勢には精神分析的に価値があると一応は言えますが、一度徹底的に自己省察をしないでそうしたことを言うのはやはり軽率であり、底が浅いと言わざるを得ません。彼の言説に追従する人が増える危険性を考えて、あえて意見を述べた次第です。

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安倍首相の試み への2件のコメント

  1. ぎんやんま より:

    5月8日の朝日新聞に、神戸女学院大学の 内田 樹 名誉教授(フランス現代思想が専門なので、大嶋先生はご存じかも?)の「壊れゆく日本という国」という寄稿文が載っています。

    内田氏は言います。『いわゆる「国民国家としての日本」が今や解体過程に入り、政府は「国民以外のもの」の利害を国民よりも優先する。「国民以外のもの」とは端的に「グローバル企業」のこと』と。
    「われわれが収益を最大化することが、すなわち国益の増大なのだ」というグローバル企業のロジックをわれわれは安易に納得していないでしょうか?
    昨日(5/5)のどの新聞のトップ記事も、トヨタの営業利益が1 .8兆円というもの。まさに日本は企業国家になってしなった感がありますね。

    『「企業利益の増大=国益の増大」という等式は、その本質的な虚偽性を糊塗するために「国民的一体感」を必要とし、グローバル化と拝外主義的なナショナリズムの亢進は矛盾しているように見えるが、実はこれは「同じコインの裏表」である』と内田氏は言います。
    まさに靖国も尖閣も竹島も、ナショナリズムをあおる安部首相にとっては、懸案どころかむしろ好都合な材料なのでしょう。
    先日の東京ドームの長嶋・松井国民栄誉賞のセレモニーでの安部首相の抜け目ない立ち回り(背番号まで69とは恐れ入る)。しかし、長嶋・松井両氏の国民的人気をあそこまでえげつなく利用するのに対して、どれほどのメディアが批判したでしょうか?

    先日、韓国の朴大統領が訪米した折、「日本は正しい歴史認識を持たねばならない」という意味のことを述べましたが、当のアメリカも今の日本のアジア外交にはもううんざりしているのではないでしょうか? 正しい歴史認識がなくてはならないということは、政治家の問題としてだけではなく、われわれ国民自身こそがよく考えなければならない課題だと思います。

    内田氏は言います。『ケネディのスピーチ風に言えば言えば、「グローバル企業が君に何をしてくれるかではなく、グローバル企業のために君が何をできるかを問いたまえ」ということ。日本のメディアがこの詭弁を無批判に垂れ流していることに私はいつも驚愕する』と。

    そして氏は『今、私たちの国では、国民国家の解体を推し進める人たちが政権の要路にあって国政の舵を取っている。政治家たちも官僚もメディアも、それをぼんやり、なぜかうれしげに見つめている。たぶんこれが国民国家の「末期」のかたちなのだろう』と。

  2.  ぎんやんまさんが仰るように、ある意味、今の日本は国民国家の「末期」の
    かたちかも知れません。マスメディアが垂れ流している音楽や言語には、国が
    滅ぶ前に流行るそうなものばかりです。
     今こそ国民一人一人がもっと学習して自分の言葉を持ち、私たちの国、日本の
    正しい方向を見出したいものです。

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